trek5200のブログ

サラリーマンパパのロードバイク日記

ツールド沖縄 210km 完走レース記

今やっと片付けが終わりました。予想外の後半嵐のような大雨でバイクが水没状態に近かったので、激闘を終えた戦友を丁寧にメンテしてやりました。疲れてますが、記憶がフレッシュな内にレース記を。

前日 沖縄入り 豪雨に気持ち萎える

キングmuRataさんと沖縄入り。空港に着くなり横殴りの雨で戦意喪失寸前。それでなくてもツールド沖縄という日本一の大会の独特のオーラが那覇空港のロビーからビンビンに伝わってきて既に気持ちで負けそうだったのに。。とにかくレンタカーに乗り、途中で昼食をさっと済ませ、受付会場へ。

大雨の中、受付会場が中々見つからず、散々右往左往して時間を無駄に費やす。AOBの戦友id:max-kozさんと連絡を取りながらなんとか受付会場を見つけ、受付を済ませ、買い出しをしてホテルへ。

雨は勢いを増す。トロピカルな海なんて一切見えない位の大雨。風も強く、ちょっと外に出るだけでビショビショ。それでもバイクを組み立てなければならず、ホテルに指定された一階の倉庫スペースへ行くが、大勢の選手がバイクの組み立て中でスペースが見つからない。しかも指定された場所は完全な屋内でないので、横から雨がバンバン吹き付ける。「ホントに明日走るのこれ?」という質問を何回も自分の中で繰り返す。しかも210kmも?(ここでTNIのバイクケースが開かず、頂いた先輩に電話して暗証番号を確認したりして、何度も開けようと試みたがどうしても開かず、「史上最悪の理由によりDNSか?」と目の前真っ暗になりかかったが、しょうもない理由で事なきを得たのですんません、割愛。詳細は打ち上げの時にAOBの皆さん。)

雨の予報だったのでフロントだけシャマル+RBCCを用意してきた。この時点では明日まだ雨の予報のままだったので、フロントはシャマル、リアはZIPP404でとりあえず組み立てておいた。

ルートイン名護に一人で孤独に耐えているmaxさんと再び連絡を取り、三人で一緒に夕食を取る。こういう時に普段から一緒に練習している仲間と時間を共有できるのは非常に心強い。実際、宿泊したホテルでもチーム単位の人達が殆ど。「自分はAOB246ってちょっとふざけたネーミングのチームの一員だけど、中身はすごいんだぞ」と勝手に自分の中ですごんでみせる。この時点で心拍既に120。

ホテルに戻り、muRataさんと大浴場にいって今日一日の疲れを癒す。土曜日入りしか選択肢は無いが、本当は金曜日入りの方が良いのだろう。あっという間に一日が過ぎ、かなり疲れてしまった。

寝る前、ウェザーニュースを確認すると、午前中雨は残るが、徐々に良くなるという予報に変わっていた。雨も上がっている。風も吹いていて、雲の動きも速い。路面も乾きつつある。

消灯するが、緊張してあまり良く眠れない。一体どんなことになるのか。自分は実は場違いのところにいるのではないか。昨年までだって難関中の難関レースだというのに、今年はコースが10km以上伸び、しかもアップダウンが終盤増えている。関門は一時間遅くなったものの、スタートが45分遅くなったので、15分しか実質伸びていない。ラストの登りを考えると、はっきりいって平均33km/hで走れるのか?ネガティブなことしか頭に出てこない。何回も寝返りを打っては、頭の中のネガティブ妄想の悪循環と闘う。ただ、全ての関門を突破するためには普久川の登りに入るまでは先頭集団にいないと120%完走は無理だということ。これだけは頭に刷り込んだ。あとは自分を信じて走るのみ。

いよいよレース当日 雨は無し 路面もドライ

なんだか寝たのか何なのかよく分からず、しかも目覚ましが鳴る前に起きていた。muRataさんと時間を掛けて朝食を食べる。とにかく食べる。一体どれだけ食べたのか。ピーナッツバターパン、チョココロネパン、みたらし団子3串、どら焼き1個、これをオレンジジュース1本で流し込み、その後グリコCCDで作ったドリンクを700ml飲み干す。胃がパンパンだが、レーススタートまで3時間以上あるので今は我慢。muRataさんなんて(ボディサイズが違うから比較にならないが)食パン1斤をむしゃむしゃ平らげていた。

雨も上がっていて、路面も乾いていた。ウェザーニュースによるとスタート時刻から曇りに変わっていたので、散々悩んだあげく、フロントを急遽シャマルからZIPP404に交換。

雨も上がっていたのでスタート地点までの10kmを自走しようかとも思ったが、まだ陽も上がっていなくて真っ暗。ライトなんて持ってきていないし、ポジションとか、諸々万が一調整が必要になるかもしれず、車に工具一式を積んで行くことに。

招集が思ったより早く、アップほぼゼロで整列

210kmのスタートは7:45。6時過ぎからもう選手がぞろぞろ集まりつつあったので、流れに任せてスタート地点である名護十字路付近にいると、もう210kmの選手も並んでいる。これはいかん!ということですぐに並ぶ。すると前方にmaxさんの姿を発見。まだ余裕ありそうだったのでmuRataさんと一緒に横に入れて貰う。さすがmaxさん。ありがとう。

「いえ、Y岡さんなんて最前列ですよ」

あ、ほんとだ。やっぱこの辺から違う。

  • 痛恨のミスその1

やはり緊張していたのか、普段慎重なはずの自分らしからぬミス。グローブを忘れてしまった!!!あー、と思ったが既に時遅し。210kmもあるんだぞ。登り一杯あるし、しかも万が一落車に巻き込まれたときに痛そうだし(ってそこかよ)。。でもまあいい。フミだってよく素手で走ってるし。

  • 痛恨のミスその2

補給を摂りやすくするためにと思い、「ザバスピットイン 梅風味」のキャップを全部外して後ろのポケットに入れたら、詰め込み過ぎだったせいで中身がピューっと出てしまい、バックポケット周辺はマルトデキストリンでベトベトになってしまったー!これは相当焦った。それがとろとろとお尻まで流れ、果ては太股にまで。一生懸命指でぬぐっては舐め、指でぬぐっては舐め、の繰り返し。そのうち両手の全ての指がベトベトになり、グローブを忘れた自分は強豪に囲まれて一人意気消沈。すると商店街の電気屋さんが店を開けていたので、ご主人に理由を言ったところ快く流しを貸してくれた。しかも石鹸まで。。おかげで助かりました。深く反省し、外した全てのキャップをベトベトになったバックポケットから探して再び締め直す。もうこの時点で心拍125。

いよいよスタート

7:45きっかりにスタートの号砲。パトカーの先導で2kmほどパレード走行。こんな雰囲気の中レースに出るのは初めてだったので、すっかり舞い上がるが、前をちょっとでも開けたら迷惑になる。どこがパレード走行?っていう速度で一気にペースアップ。周囲を見るとまあ、雑誌やら何やらで見たことある有名選手だらけ。

今日のこの日のために調整してきたので、脚はさすがに軽く、よく回る。疲労感もゼロ。しっかり抜いておいてよかった。

先頭が視界にしっかり入る位置で進む。muRataさん、maxさん、そしてid:yoshi_kunさんのAOBメンバーも良い位置をキープ。

序盤、まだ10km程度しか走っていないところでアクシデント。これだけの速度で大集団が走れば、ちょっと道路のスペースが変わるだけで速度に微妙な変化が現れる。前の選手だけを見ていてもその変化をつかむのにコンマ何秒か遅れる。実際に目の前で道幅が狭くなったところで2-3台前の選手が斜め前のスペースに入ろうとして巻き込み落車。自分もおカマを掘ってしまい、ストップ。前の選手のバイクが自分の右脚前部にヒットし、痛む。あと右の親指と人差し指をぶつけてしまい、出血。もう戦意喪失。こんなちょっとしたことで落車があるのでは、先が思い遣られる。ただ、自分はラッキーなことに転ばなかったのですぐにフロントタイヤを確認して再び走り出す。この間恐らく10-15秒程度だろうけど、前は既に圧倒的なスピードで進んでいる。必死になって追いつく。既に心拍170。

与那までの平地 Ave41km/h 先頭集団で登りへ

美ら海水族館の前を通過。ああ、この夏ここに家族と来たなあ、なんて思う余裕もなく通過。ここの登りも集団はものすごいスピードで駆け上がっていく。先ほどの激突の影響なんて考える余裕もない。とにかく前とのスペースを開けず、かつ全体の動きを見ながら進む。脚も使うけど、気疲れしてしてしまう。ブレーキを常に指に掛け、ちょっとした掛け声にも対応できるようにする。なんてたって常に40km/h前後。

本部半島を過ぎ、いよいよ与那までの海岸線を北上する。ところどころ道幅が狭くなる箇所があって、都度速度を落とす。安全に通過すると、今度は前がどーんと行ってしまっている。ここでノブちゃんばりの信号ダッシュが続く。これが実は前半結構きつかった。一度、ふとした距離を詰められず、50km/hでひたすら一人TTをする場面が二度ほど。後ろからは「おいおい中ギレかー?」という無言のプレッシャーをビシビシ感じる。「すいません、ド素人なもんで。。」と謙虚になりつつ、AOBの名にかけてもノブちゃん信号ダッシュに耐えてきた脚を披露。なんとか追いついて事なきを得た。あーあ、本当にしんどい。けどとにかく与那までの辛抱。

いよいよここから本格的なサバイバルレースの始まり 普久川の登りへ

70kmの平地もほぼ終盤。Y岡さんの横に偶然来たので声を掛ける。Y岡さんの余裕のほほえみで一人心細かった気持ちが少し温かくなる。Y岡さんが右から徐々に上がっていくので自分も慎重に付いていく。すると後ろから背中を優しくポンと叩く人が。実はこの210kmレース、完走できたのもこの「ポン」と腰を叩いて笑顔をくれた方のおかげ。Max Speed97の大隊長、ちゃじろーさん(id:chajiro11)だ。実はちゃじろーさんとは春先に一度ご一緒させて頂いたことがあったし、昨年のFISCOでは勝手に後ろを走らせて貰ったご縁があった。腰を痛めていたとブログで拝見していたので心配だったけど、スタート地点でお会いし、声を掛け合っていたところだった。ちゃじろーさんは昨年も200kmを完走しているし、ロードバイクレース経験も豊富。結局僕は最後の最後まで、ちゃじろーさんに食らい付いていき、コースも教えて貰い、何から何かでお世話になった。もう一生頭が上がらない。

普久川の登りはルートラボで調べておいた通りだったのでそれほど焦りはなかった。ここまでは先頭集団に付いていったけど、ここからは自分との闘い。当然、周囲もみなきつそう。周囲の選手に遅れを取らないようにペースを維持して一回目の普久川をパス。

奥の登りに入るあたりから、自分のペースと似た選手が周囲に何人かいることを確認。事前にメールによる通信添削でY岡さんからアドバイスをもらっていたように、とにかくパックになることを意識。もうこの位置になると後ろからがつんと抜かれるようなこともなく(がつんと抜くような選手は既に前なので)、周囲をよく観察しながら小集団になるといいなあと考えながら進む。奥の登りを過ぎてもアップダウンの波状攻撃は止まらない。後輩Nが車で試走していたらしく、「北側のアップダウンは激しいですよ」と事前インプットもあり、ある程度想定もしていたし、ルートラボでもチェックしていたが、これほどアップダウンが続くと脚も相当厳しくなってくる。

与那に戻る手前辺りから約10名ほどの選手でパックらしき形になるが、なかなかローテが決まらない。一人、積極的に声を掛けてローテを促してくれるが、綺麗に回らず、自分も既に脚も心臓もきついので冷静に対処できない。そんな中、ちゃじろーさんは誰にも文句も言わずに積極的に前に出て牽く。Max Speed97のユニフォームは普段からビーン隊長やY岡さんがAOB練で着ているので何故か落ち着く。そしてちゃじろーさんのサドルからぶら下がっているお守りのようなもの(?)が猫じゃらしのようにぶらぶらするので、それを見ながら気持ちを落ち着かせようとする。

二回目の普久川に入る。もうこのあたりになると周囲のパック選手とは脚の差も無く、皆無言だけど一緒に登っていく。二回目の普久川の関門が12:00だったが、確か30分以上余裕を持ってパス。正直ここまで持てば上等と思っていたが、正直東海岸に下れることが嬉しかった。

長い下りのあと、いよいよ高江の登り区間へ。この時点で140km通過。ちゃじろーさんから「このペースだと関門突破きついかもよー」と声を掛けられる。昨年までだったら、後ろから140kmの先頭集団が迫ってくるので、それに乗ることが出来たとのこと。しかし今年は210kmは最後方スタートで、後ろから急行電車はやってこない。自分たちでペースを作らないと関門突破できないのだ。だからこそちゃじろーさんは今年の210kmが一番厳しいという。実際、高江の登りに入るとパックは崩壊。集団は縦に長く伸びてしまい、最後は前後確認できないほどにまで広がってしまう。ちゃじろーさんは高江の登りの後も延々と続くアップダウンを一人先行。強い。ここは最初の2kmほどの登りのあともアップダウンが波状攻撃的に続き、合計7kmも登る。さながら雛鶴。このアップダウンは140kmで落ちた人達の墓場のようになっていた。自分はひたすら雛鶴でmuRataさん、maxさん、Y岡さんを追いかけるイメージで前を追う。平均時速が徐々に落ちてきて、前半の貯金を浪費する。アップダウンの終盤、やっとちゃじろーさんに追いつく。高江の関門も突破。下りに入り、210kmの選手が2人ほど落ちてきた。「一緒に行きませんか?」と積極的に声を掛け、列車に乗って貰う。が、ここで右のハムストが痙攣。踏めなくなる。「すいません!攣りました!!」と情けない声を掛けると、ちゃじろーさんと、前から降ってきた選手が「回して回して!」と励ましてくれる上に、少しペースを落として待ってくれる。必死になってクルクル回し、こぶしで叩いているうちに落ち着きを取り戻して再び後ろに付く。

いよいよ終盤 ここで予想外の大雨に大苦戦

下りきって165km通過。平良の関門手前で高江の前までパックだった選手達が追いついてくる。再び10名前後になる。しかし下り手前からポツポツ降ってきていた雨が一気に大雨になり、視界を妨げる。これにはまいった。OGKの最安値サングラスは全く役に立たず。前が全く見えない。しかも路面は川のようになっている。グローブを忘れた手が滑るので、緊張が増す。

パックは川のようになった道をひたすらペースを落とさずに進む。皆最終関門を突破したい気持ちに変わりはないが、ここまでの疲労と、大雨で心を折られそうになる。でもここでふたたびちゃじろーさんが声を掛けてくれる。コースレイアウト、斜度、距離などを伝えてくれるので、冷静になれた。

昨年まで源河の登りで有名だった有銘中学を直進。ここからは夏休みに自分も車で一度走った区間。1.5km、7%の登りを2本、大雨の中、びしょびしょになりながら登る。スリップに気をつけながらもペースはここで落とせない。最後の関門まで気が抜けない。どんどん他部門の選手がゾンビのように横で死亡している。下りも雨でスリップが怖く、ブレーキを相当手前から掛けないと止まらない。すると前方で大声。救急車だ。転倒があったらしい。無事に通過。

2本の登りのあと、500m程度のアップダウンを数本登る。もう四頭筋が痙攣直前。もうこれ以上踏んだら一気にイッてしまう。けどもう既に190km。頑張るしかない。ここで倒れたら何の意味もない。

雨も徐々に弱まってきた。最後の羽地ダムに向けての登りに入るまでの平地でなぜか急にこみ上げてきて一人泣いてしまった。一人で泣いたのは「壬生義士伝」を飛行機内で読んだ時以来だ。よく分からないが興奮状態だったのだろう。もしかしたら完走できるかもしれないと思ったのかも知れない。今思うとよく分からないが、恥ずかしいので先頭に出て暫く牽いた。

羽地ダムに向けての最後の登り。ちゃじろーさんが「最後、3.5kmの登り。俺は置いて先行ってね」なんてかっこいいことを言ってくれる。ここまで積極的に集団に渇を入れてくれたリーダー。一人置いていくことなんて出来るわけない。最後までパックだった数名の選手と一緒に羽地ダムに向けて登る。

登り切った後、川上の最後の関門に向けて下る。最後の関門は13:55。15分程度余しての通過。「これで最後の関門です」の声についに完走したんだという実感が沸く。

バイパスを最後まで一緒に走った人達と進む。完全封鎖された道路をこうして走ることなんて夢のようだ。名護市役所周辺の市街地に左折したとき、ついに、本当に完走したんだと思った。209km、6時間14分、平均33.4km/hの激闘は長く、そしてあっという間だった。

ゴール後、歩道に佇むmaxさんと完走を喜び合う。本部前に行き、Y岡さん、そしてキングmuRataさんと抱き合うようにお互いを讃え合う。自分もまさかこの人達と一緒にゴールラインを切れるなんて思ってもいなかったので、これまでの努力は裏切らなかったと素直に喜んだ。AOB隊4名、全員完走。2010年のシーズンをこれで終えることが出来る。

改めて、これまでの毎週末を一緒にトレーニングしてくれたAOBな皆さんに感謝。今回のツールド沖縄210kmを闘ったmuRataさん、maxさん、Y岡さんには道中のアドバイスも含めて本当にありがとう。ちゃじろーさんにはどうお礼を述べて良いか分からない。この場を借りて感謝。レース経験少ない僕に様々なアドバイスをくれた後輩Nにもお礼を言いたい。

そして、所詮お遊びといえばお遊びだけど、わがままなお願いを聞いてくれた家内には心から感謝。

データや補給、写真、バイクの備忘録はまた明日。